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PROFILE

田村 良恵 戸塚刺繍師範

1979年生まれ
岡山県瀬戸内市出身

数ある刺繍教室の中からお立ち寄りくださり
ありがとうございます。

2019年12月に少人数制の戸塚刺しゅう教室を
大阪市住吉区に開講しました。

また、2022年1月より手芸の店かめしまさんの戸塚刺しゅう教室も担当しています。

仕事、家事、子育てに追われる暮らしの中で
たった5分だけでも針を持てば
疲れていた気持ちが少し整います。

刺繍が初めての方は制作する作品選びからお手伝いさせていただきたいので
是非一度見学にお越しください。

私は、特別な肩書きも、人に語れるような経歴も持っていません。
今まで生きてきた中で感じてきたこと、そしていまここで言葉を紡いでいること。
それが私のすべてであり、私のプロフィールです。

私がこの教室を始めたのは、ただ刺繍を楽しむ場をつくりたいという気持ちだけではありませんでした。
それ以上に、「不可視化されている問題」をすくい上げ、言葉にしたいという願いがありました。

私は、かつて社会の中で居場所を失いそうになった経験をもつ、ひとりの当事者です。
あの頃の自分と、いま似たような状況を生きている子たちを重ねながら当事者にしか見えにくいものや、気づかれにくい思いを、少しずつ言葉にしています。

特に、大阪で起きた二児置き去り死事件。
境遇が似ている一人の母親と、その子どもたちのことを思わない日はありません。

子どもと暮らせなかった彼女と、今、子どもたちと暮らしている私。
その違いは何だったのだろうと考えると、ほんの小さなきっかけや、人との出会い、そして運のようなものだったのす。

でも、その中で出会えた人や受け取った優しさもありました。
だから今となれば、私は私に生まれてきてよかったと、心から思えます。
それは過去をすべて肯定することではなく、どんな時も懸命に生き延びてきた自分の人生を認められるようになったということです。

中学卒業後、多くの子が親元で学生生活を送る中、私は住む場所や仕事を確保しながら日々を生きることに必死でした。
それと同時に、機能不全に陥っている家族をどうにか修復したいという思いを強く持っていました。

今になって思えば、それは私ひとりで背負うべきことではなかったのだとわかります。
けれど、当時はただただ一生懸命で、家族が仲良く笑って食卓を囲む姿を何度も空想していました。
そして今でも時々団欒の夢を見ます。

もし、いまの私があの頃の自分に声をかけられるとしたら、
「どうにもできないことは、いったん保留にして」と伝えたいです。
その問題は、あなたが今抱えきるべきものではないのだと。

私は当時、どうにもできないことを「どうにかしなければ」と抱え込んでいました。
私以外の誰もその問題を深刻にとらえていなかった中、命がけで家族に気持ちを訴えました。
けれどその声は届かず、心だけでなく、体にも深い傷を残しました。
その傷は今も残っていて、私が通ってきた道を静かに思い出させます。

こんなふうに話すのは、過去を誰かにわかってほしいからではありません。
いま、似たような状況で苦しんでいる人に、必要以上の傷を残さないでほしいからです。

「いったん保留にして、自分を優先していいんだよ」と伝えたい。
心の傷も、体の傷も、ときに将来の選択肢を大きく狭めてしまうから。
だからまずは生き延びてほしい。その思いがいちばん強いです。

私は、自分の言葉を届けるための土台として、小さな教室をつくりました。
助けを求めても助けてもらえなかった経験があるからこそ、自分の手で、安心できる場所をつくりたかったのです。
何の肩書きもない私の声は、ただ流れていくだけかもしれない。
けれど、だからこそ、言葉を伝える場が必要でした。

支援をする人が想像する「困りごと」と、当事者が感じている「本当のしんどさ」は、少し違うこともあります。
でも、ほんの一言や二言の言葉が、思いがけず人の心をすくうこともある。
だから私は、言葉を大切にしたい。見えにくい声をすくえる人が増えてほしいと願っています。

この教室が、そしてこの声が、誰かの小さな希望のひとつになれたら。
それだけで、私は今日も、自分の歩いてきた道に、そっと意味を見いだせる気がしています。

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